2013年5月29日水曜日

なかの真実 自由律俳句まとめ (2013年3月〜5月分)

センター街を駆け抜ければ肺に湿気の膜がはる

さらりとした空気が血管を撫でる

固く鈍くなる指先に青信号を送れ

風にさらされた指先が発熱する

ボロ靴の爪先を見つめて家路に着く

たった一本のペンも握れない

空の胃袋にもらった甘さ広がる

人集まるとあったかい

よい月を何度見たらよい月がかけるかな

いつかまた毛並みを撫でながら一緒に眠りたい

足の裏の冷たさで夜に気づく座り通しの今日

いつもと違う通りを歩く風の日

真っ白な紙に孤独な点を垂らしてしまった

どうしても母の味にならないと嘆く友

墓参りに行きたいと言い出せず二度目の春

全裸の気温

雑魚寝した体まるで動かない

やたら腹だけは減る役立たずな一日

借り物の本めくるたびに人ん家のにおい

乗り馴れた駅 帰り道間違えて寄り道

酒臭い灯りの前で猫がまっすぐに見ている

猫の追いかけっこに混ざって全速力

手を止め顔を上げ喉が渇いてた

雨音になだめられてる

空が明るくなるこのとき誰よりも天才

いつもまっすぐ行く道を曲がってみたらうまい酒

しゃっくりをしながらぬるい風の道を歩く

禁酒解禁して次の〆切までまた禁酒これの繰り返し

たまごをガブリとかじったら亀が生まれた

会っているときだけ10cm浮いてる

なんだってこんなにやる気が出ないのか枕に聞いても無言

瓶牛乳で胃袋を潤して働く

帰り道もらったあんぱんと半月と強い風が甘じょっぱい 

曇りのち晴れ ハードのちニート

かすみ目に映る朧月これからが私の時間

窓の遠くでバッドが甲高く鳴り歓声

美しい女に優しくされたくて歯医者に行く

知らぬ間に鞄にねじ込められてた温泉饅頭

いつだって女は私に優しい

晴れの日に髪を切るそれだけでいい一日

宴の後の騒がしさ引きずり強風の夜明け

かっこいいGジャン着て出掛けたから家に帰りたくない

ずっと通学路に佇んでいたお前はそうか棕櫚と言うのか

地をヒラヒラ舞う小さな影について行ったら

細い目を細めて太陽を避ける

ぬるい炭酸水ただひたすら硬い

街の灯りが強くなる三分後の空

ぽつぽつ雨のなか散り散りにいつまでも手をふる

肉に夢中で一張羅を汚した

なぁ女性ホルモンくれよ

晒されたうなじに夏めいた熱

いつの間にか痣だらけの膝に蚊

渇きで目覚めた卯月曇の午前六時

愛猫の影はなくカーテンは揺れている 

墨の香りが背骨をまっすぐにする

靴擦れした足で駅まで遠い

定食屋みんなが見上げる先に宮根誠司

文句をいう老婆の声の柔らかさ

針金格子の間から日向に近づきたい桃色

そよぐ緑の向こうで他所んちの換気扇が廻っている

一筆も進まず茶は減るばかり

右耳の脈拍が当てた二の腕に沈んでいく

音楽で耳を塞ぎ歩いた通学路もう通らない

教室のカーテン揺らした青嶺の風と同じにおい

痺れた脚の血は熱い


なかの真実 (なかぎり代理掲載)

2013年5月28日火曜日

薫風午下 玄齋

注: 現代語訳がついているのは、一般の方にも読んでいただけるように
との配慮からです。漢詩や漢文は中身が分かって初めて楽しい、
そんな風に思います。漢詩に普段なじみのない方は、
現代語訳から見ることをおすすめします。


●原文:


 薫風午下 玄齋  (上平聲六魚韻)

雨 餘 移 簟 臥 茅 廬  午 下 南 薫 風 意 徐

破 夢 新 蟬 檐 鐵 下  猶 懷 宿 志 在 華 胥



●書き下し文:


 題「薫風(くんぷう)午下(ごか)」

雨餘(うよ) 簟(てん)を移して茅廬(ぼうろ)に臥(が)し

午下(ごか)の南薫(なんくん) 風意(ふうい)徐(ゆるやか)なり

夢(ゆめ)を破(やぶ)る新蝉(しんせん)檐鉄(えんてつ)の下(もと)

猶(なお)も宿志(しゅくし)を懐(いだ)きて華胥(かしょ)に在(あ)り


●現代語訳:


 題「初夏の昼下がりの爽やかな風を感じながら詠んだものです」

雨上がりにむしろの寝床を移して粗末なあばら屋の自宅で寝ていると、

昼下がりの初夏の南風が、緩やかに吹いていました。

今年初めてのセミや風鈴の音に夢から覚めた頃には、

なおもかねてからの志を持って、かつて太古の帝王の黄帝(こうてい)が
見たという理想郷の中にいるようでした。



●語注:


※薫風(くんぷう): 穏やかな初夏の風のことです。

※午下(ごか): 昼下がりのことです。

雨餘(うよ): 「雨上がり」のことです。「雨後」と同じです。

※簟(てん): 竹で編んだむしろのことです。それを敷いた寝床を指します。

※茅廬(ぼうろ): 粗末な茅葺きの家のことです。自分の家を謙遜して言う表現です。

※南薫(なんくん): 初夏に吹く南風のことです。

※風意(ふうい): 風が吹く様子のことです。

※新蝉(しんせん): 今年初めてのセミのことです。

※檐鉄(えんてつ): 風鈴のことです。檐(えん)は軒先のことです。

※宿志(しゅくし): かねてからの願いのことです。

※華胥(かしょ): 太古の帝王の黄帝(こうてい)が昼寝をしている間に
  見たという理想郷のことです。


●解説:


初夏の昼下がりに爽やかな風が吹いている、
そんな中で寝ている光景を漢詩にしたものです。

梅雨時の前の今頃までがとても爽やかでいい季候ですね。
体調も良く過ごせているのが嬉しいです。


「華胥(かしょ)」は老荘の書物の一つ『列子(れっし)』の
「黄帝(こうてい)」篇の冒頭に出てくる一節です。以下にその物語を説明します。


黄帝(こうてい)は、自分の能力をフルに活用して天下を治めていましたが、
自分の心身が疲弊しているのにうまく治まることがないという状況でした。

そこで自分の散漫になっている気持ちを修めて身体を養うために、
身を清めてお昼寝をしていた時に、理想郷、華胥(かしょ)の国を見たわけです。

その国はリーダーがいなくても治まり、
民衆もいろんな欲に振り回されることなく、
その時々で自然に求めているものだけを欲するようになっていて。

自分と他人を分けて考えて差別したりはせず、
生きることと死ぬこととの間で苦しむことがない、

そんな様子を見て、夢から覚めた頃には、黄帝は自分の過ちに気付きました。

自分の身を養うことと、民衆を治めることを全く別のことと考えてしまって、
知恵を振り絞っていろんな施策を行い、自分自身は疲れ切っているのに
さっぱり国が治まっていかない。そうではなく、

自分の心身を治めて、自分の心から自然にわき出してくる気持ちを元に
民衆の苦しみ・楽しみを思い、それに従って本当に大切と思うことを
しっかり行い、人の欲から出て来たような余計なことをしない、

そうして治めることが大切だと気づいた黄帝は、
その考えを元に施策を行って天下は大いに治まって、
彼が亡くなった後も長いこと彼を称賛する声はやまなかった、


そんなお話です。


黄帝が夢に見たように、詩人も同様なのではないかと思います。

自分の気持ちを思いのままに吐き出すようにすることが大切で、
他の詩句を学ぶ中でも、それを実現する方法を工夫しながら、
人の心に届く詩を作る、それが大切なのではないかと思いました。


私も淡い夢の中にいるようなものですが、
この勉強は二十年続けていて常に夢中になれるものです。

いろんなところを学びながらも自分の心を養っていって、
よりよい漢詩を作ることができればいいなと、

そんな風に思いながら、これからも学んでいきます。


白川 玄齋 (なかぎり代理掲載)