2012年8月14日火曜日

この夏のこと


 一度、母を抱き起こすと、それまで母に触れられるのも触れるのも猛烈な抵抗感があったことなど、驚くほどあっけなく解け流れた。

 存外、男とはそう言った、傍からみると実にくだらない呪いをかけられながら生きているものなのかもしれない。

 青年期からこっち、明確に母に触れた記憶は、父が急死し警察の霊安所で夜を明かすことになった遺骸から母を引き離すときに肩を抱いたとき以来だから、もうざっと20年は過ぎているだろう。
 霊安所は、本建屋の外の駐車場の片隅にあるコンクリート造りの陰気な建物だった。

 その母が、6月の半ばから身動きが取れなくなった。
 介護が必要になった。
 足や腕の関節に、ひどい痛みを感じているようで、腰が立たぬどころか、半身を起こすことも出来なくなった。

 本当に突然だった。
 その半月前まで、ひとりで電車に乗って横浜や近所に買い物などに、腰軽く行っていたのが、これといった表立った原因もなく、そんな状態になった。

 色々と病院で原因を探ったり、介護の認定処理をしたりとどうにもこうにもバタついた日々が続いた。
 そして今現在も、続いている。
 血液やレントゲン検査の結果、全身の骨にも内臓にも異常はなく、脳の精密検査の結果も歳相応の内容で、大きな問題はなかった。

 私は、堅気の勤め人を離れて久しい。
 ちょうど仕事の切り替わりの時期で、何とかこれらのことで駆けずり回る事には対応できたのだが、今もって次の仕事は確定していないこともあり、フトコロ具合もなかなかにスリリングな展開を見せている。

 今日まで、いろいろな人に力や知恵を借りながら、こまごまとしたヤマを乗り越えてきた。
 深夜、トイレまで這っていこうとする母に、どう介添えしてよいものか途方にくれながらも、わずか3mの距離を親子で1時間以上も四苦八苦したことや、15cmの段差が降りられずに最後はおぶったことや、服を着替えさせること、パンツ型おむつを取り替えること、背中を拭くこと、ズボンを上げること、座薬を入れること、水を飲ませること、抱き起こすこと、デイ・ケアへの体験入所に一日付き添うこと・・・。
 これらのことは、一度経験してしまえばそれほど苦痛ではなく、むしろ子供の面倒を見るような錯覚すら持つ。
 しかし、最後の最後は、タガの外れたように楽天的に開き直れてきたはずの母が、泣きながら生きる事を嘆く姿を眼にした時には、何より堪えた。

 先日、やっと介護認定がおりた。
 要介護4。
 MAXが5との事なので、それなりの重さのようだが、ちょうど認定のための審査に役所の方が訪問された7月初旬は、今から思えば一番ひどい時期だったような気がする。

 母も、私も、この新たな生活の形に慣れ始めてきたのかもしれない。
 当初は、叫ぶように訴えていた痛みも、最近はやや落ち着いているようだ。
 私が入れる、鎮痛剤の座薬の回数も減ってきている。

 同居しておきながら、ここには書きたくない諸々の事情で、母を「ひとりで生活させていた」私は、大きな減点をしてきたのだと思う。
 いまその減点の穴埋めをしなければならないようだ。
 どこがプラマイゼロなのかは分からないが、出来うる限り、黙々と、でも息を抜きながら、続けようと思う。

 本日やっとケア・マネージャーが決まり、デイ・ケアに週2回いく方針で事が動き出した。

 やっとひとつ片がついた。
 本格的な介護生活へのスタート準備が整った。

 これから先のことは、何ひとつ分からん。
 だが、『なるようにしかならんし、何とかなるだろう。』

 これは、幼いころから引っ込み思案で何かとウジウジしていた私が、母から言われ続けてきた言葉だ。
 なに、当節、介護生活は珍しいことではあるまい。
 私も母の血を濃く受け継いで、タガの外れたように楽天的に開き直れるのだ。

 ・・・きっと。


 これからの長期戦を前に、一度この2ヶ月を振り返って、ここに載せておく。
 心配ご無用。
 なぜなら私は、あの素敵に能天気で、素敵にアブノーマルな集団「アぽろん」の代表なのだ。

 かもめ(@YHhama)さん他、一部事情をお知らせした方々の励ましやご助言に、改めてお礼いたします。
 今後とも、よろしくお願いいたします。

 今後も、何も変わらない代表でい続けたいと思う。
 ・・・でもホントは、もう少し、しっかりしたほうがいいと思ってるのよ、ホントだよ。
 でもこればっかりはねぇぇ。。。


1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

人の助けがないと生きられない、トイレにも行けない、しかも何故これくらいの痛みが我慢できないのか、原因もわからない状態で、嘆いても嘆いても、寝ても覚めても変わらない現状。私は看護を受けることも苦痛で精神が崩壊してしまった。それを介護という形で、息子に頼るという現実を受け入れるにはやはり時間がかかるでしょう。
生きる気力を失いつつある人を支えるのは、尋常ではなく大変だったと思います。
でも、人には慣れという素晴らしい適応能力があるのです。少しずつ、非日常が日常へと変わっていくんですよね。
お互いの心地よい距離、気遣い、支え合うということ。いい時ばかりではないと思いますが、すべてを良いことに変換できる楽天的能力をフルに使ってがんばってくださいましね。
長々と失礼いたしました。